#32 さよなら未来;編集者の画素数にあっぱれ。
Wired日本語版の編集長である、著者が過去のエッセイや記事をまとめて出版された本です。
この作者にもWiredにも興味を持ったことなかったですが、編集長ってどんな事を思って記事にして、どういった思考なんだろうなって思って買ってみました。
一人のサラリーマンが本を出すって凄いなって思うのと同時に、確かに言葉の使い方や選び方がすごく上手でおしゃれだなって思います。やはり、Publicに発信するという仕事って、ここが上手じゃないとダメですよね。
コラム調の記事がたくさん収録されていて、短編小説を読んでいるかのようにサクサク進みます。
この視点から、この表現するんだー。なんてブラン管テレビぐらいの画素数しか持ち合わせていない、私の語彙力では到底思いつかないような、楽しい表現が並んでいます。
会社のレポートでは使うことできないですが、ブログでこれ書いたらすごいな。って思いました。
印象に残ったところを備忘録に。
1.お上は見ている
そもそも「サムライ」をやたらと持ち上げる風潮は、いつ頃から一般化したのだろう。江戸時代のある時期を過ぎたあと、サムライは、ほぼ「官僚」と同義であったはずで、その官僚機構は、いつの時点からか組織防衛を旨とする、保身と形式主義の権化と化したというのがぼくのうがった歴史認識でそんなもの後生大事にありがたがっているのは、どういう種類の欺瞞かといつも首をひねってしまう。
中略
(水戸黄門などの時代劇を通して)僕らはそれを通して「お上は見てくれている」「お上は正しい」という認識をそれとなく刷り込まれているような気がしてならない。そしてそれをセットでサムライという存在に根拠のないロマンを感じるよう何と無く仕向けられた気がする。
とか、
いまどきの「ガヴァナンス」は「統治」ではなく「自治」という方向へと姿を変えつつある。中略
みんながビクビクしながら国の政策に身を任せている世界を水戸黄門とサムライで表現しています。歴史と現実を俯瞰的に見ている表現だなーって感じました。
2.分散と自立
「分散」ということの価値について、小児科医、科学者で自信が脳性まひ患者である熊谷晋一郎さんの言葉が焦点に当てられています。
車椅子生活を送る熊谷さんは、東日本大震災があった時に職場である研究室から逃げ遅れた。エレベーターが停まってしまい、研究室のある五階から降りられなくなってしまったのだ。
「そのとき、逃げるということを可能にする"依存先"が、自分には少なかったことを知りました。エレベーターが止まっても、他の人は階段やはしごで逃げられます。五階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベータしかなかった」。
その体験から、彼はこう考える。
一般的に「自立」の対義語は、「依存」だと違いされていますが、人間はものであったり人であったり、さまざまなものに依存しないといきていけないんですよ。だから自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない」。
そうですね。本当にそうだと思います。これを給与と解釈しても同じかもしれないですね。三つの依存がある人と、一つしか依存先がない人を比べると格段に前者の方が自立しています。
投資の本を読むと、分散投資=リスク分散と書かれていますが、まさにその通りです。
生活に必要な物資は極力分散しないとなっと改めて考えさせられる一文でした。
この本を通じて、俯瞰的な中立的な物事の見方の参考になりました。着床をどこに置くか。その着床の表現の仕方が上手でなんども確かに。って思えて、読んで良かったです。
ただ、著者の音楽の知識に全く追いつかず、読んでいる時は活字の上を滑っている思いでした。気になった音楽を聴いてみようと思います。